「生功館」製の版画  左端が御料理「中家亭」、中央が菓子舗「中家堂」、右側が諸家製売薬度量衡販売所「中家堂」

合田清がパリで木口木版を学び、明治21年(1888年)山本芳翠とともに「生巧館」という木口木版工房を開設。当時またの名を写真木版ともいわれており、写真、絵画を精巧に模して活字とともに印刷ができるこの木口木版は明治中期の日本に好意的に迎えられ、写真製版の技術が整うまでの短い期間であったが、新聞、教科書などの多くに合田やその門人の名前を残した。中家堂の菓子折り掛上は明治20年代に作られたものと思われる。